人生どん底脱出!「大丈夫!いつか晴れるさ」

地獄を味わった

人生どん底の人

20代前半5年間ほどの間で、地獄を味わっていた僕はそう思ってました。
10代ずっと遊びに遊びつくしすぎて、20代前半に反動がきたっていうだけなのですが・・・
皆、人生の中で「あそこがどん底だ!」って自分の中で決めた「人生どん底」があると思います。
僕の人生どん底は20代前半でした。

度重なる暴走運転で2回免許が無くなり20代前半は免許も車も無かった

高校生の頃、原付の免許が無くなり、車の免許をその後とるも2年ほどで、最後事故で免許取り消しになってしまいました。
車のローンを残したまま車も廃車になり免許も車も無い状態に・・・。
僕の住んでいる所は車でコンビニ15分くらいかかるので、車がないとなかなか行動できません。
僕は、22歳くらいで、できちゃった婚するのですが、この頃にはもう免許を持っていなくて
嫁さんや叔父さんに送り迎えしてもらっていました。

多額の借金を抱えた

僕は20歳の頃、実家の叔父さんの営む「施設ナス」で2年間研修し、
近所のもう年老いて引退した後の「施設」をかり「施設ナス」を営んでいました。
結婚と同時にやっと独立して農業をしていったわけなのですが、
結婚して、同棲するも生活費が3年間ほどの間で赤字が続いてしまい25歳くらいの頃には300万円借金をしてしまうことに。
生活の仕方にも問題があったのですが、それはここでは置いておきます。
施設ナスを16aしていましたが、施設ナスには休みもなく出来る時間と出来る努力をを費やして働いていましたが
年収400万円が限界だなと感じ、
家にあった田んぼを
全部レンコン田に変えレンコン農家になることしました。
この時さらに、レンコン田に変えるため450万円を借り入れ
さらに、叔父さんの赤字運営だったナスでの借金300万円近くを肩代わり
僕が25歳くらいの時には1000万円以上の借金がありました。

超絶ブラック企業みたいな農業の部会に入ってしまい鬱になった

レンコンの部会に入るのですが、うちの部会の部会長は「超パワハラ部会長」でした。
今は、「独占禁止法」で農協の部会というものはそんな無茶くちゃできなくなってきてはいるのですが
選果も皆で行い、出荷も皆で行う部会で、出荷調整も部会の方針に従わなければなりません。
それはいいのですが、部会長の罵声と指示される労働時間の長さに、入って半年で鬱になってしまいました。
「そんなのやめればいいじゃん」
普通はそう思いますよね。
しかし狂ったこの部会は
「部会長が直売所で売った部分お金は戻す金額を決めれる」
「部会長が基本選果するため、部会長の機嫌次第で掘っても捨てられる」
「部会長が、出荷調整をしているため出荷を止められる」
「やめるときには、種れんこんも全部ほりあげてもらう」
等々の、やめようにも結構お金に余裕がないとやめれない仕組み作られており、
明らかにおかしいとは思っていましたが、部会のおかしい規則を意見したくても
部会の総会や会議で議決権が半数以上で議決がが決まる仕組みで、徹底的に部会長の根回しが部会内、農協内で
行き届いており、簡単には部会は直せないような、下手に動くと逆に「干される」そんな感じでした。
まだ入りたての僕にはそんな頭は回せませんでした。

余談事ですが、
今はこの部会は今の役員と激しい部会長との闘いの末
部会長をどうにか部会から外し、規約もきちっとした規約に変え
今はまともな普通の部会になっています。

結婚し、子供2人生まれるもすぐ別居ししばらくし離婚した

女の子二人生まれ、たまに会える子供に癒やされてました。
しかし、
悲劇は止まりません。不幸とは度重なるものですね。

レンコンをやって鬱になったころ、
仕事も楽しく無い上に、過労で体もおかしくなってくるし
借金も多くて、生活費も無くて

夫婦仲も険悪になり別居がちになり
離婚しました。

実家に帰るも、ゴミ屋敷になっていて大変だった

僕には幼い頃から母がいません。
実家には障害者の叔父さんとおばあさんがいました。
お爺ちゃんが亡くなって、大黒柱がいなくなった実家は
赤字経営をしていた叔父さんが家を回していたのですが、
おばあさんの介護をしながら慣れない初めてのサラリーマンをした障害をもつ叔父さんの
家は見るも無惨な荒れ方をしていました。
台所は、ゴミだらけで、料理どころか足の踏み場もないような状態で
トイレにお風呂にリビングに倉庫に、うちは300坪くらい敷地があり、家も倉庫も相当広いのですが
全部、簡単には片付かないくらいゴミ屋敷になっていました。

ただでさえ、鬱で「超絶ブラック企業」で働いてる僕には、
すぐにすぐ片付ける余裕はありませんでした。

死にたい、逃げたい、やり直したい

絶望の女

心療内科で、精神安定剤と睡眠薬をもらいながら
俺は、なんてダメなんだろう。
毎日死にたいと思いながら、
どうにかどうにか
生きていました。

人生どん底に最高のアドバイス

最高のアドバイス

なんでこんなツイてないんだろう。
度重なるんだろう。あまり、神様というものは信じないタチなんですが、
気分転換に、気がついたらひいじいちゃんの代から通っていた神社にふと
訪れました。
なんでもいい。この不幸な雰囲気から流れを変えたかったのです。
気がつくと神にすがる羽目に。

神社に手をあわしパンパンと手をあわし、
しばらくベンチに座っていました。

すると、宮司の娘さんが掃除しており話しかけてきました。
なんて話しかけてきたのか覚えていません。ただ、気がついたら自分の不幸話を相談していました。

娘さんは、40歳くらいでやっぱり人生の先輩でした。
そして、僕はまだまだ社会人になってあまりにバカで未熟な子供でした。
今思えば、素直で愚直で。逆に真面目すぎて。
だから、迷い込んだ迷路でした。

色々な話をしました。農業の事も少し知っている様子で農業のこと。
占いも好きなようで人相占いで、僕の顔を見て、人相的には全然そうは見えないそうです。
環境を変えた方がいいと、病院の先生と同じ事を言われました。
そして、もっともっと色んな人に会った方がいい!とのことでした。

ネット販売とかどう??野菜ソムリエの資格をとってなんかできないかな。
若い人で集まってイベントとか!

その娘さんのアドバイスというのは、その時の僕にはどれも「奇抜な」発想に感じました。
そして、「ポジティブ」でした。

ただ、ザックリしてて変わった発想。それだけなのですが、
それだけで今まで真っ暗闇にいた自分の世界が

少し光が差してきたような。そんな感覚でした。

運気は天気と一緒

太陽

どうやったら良いことあるんだろ!ツイてない!運が良くなりたい!俺はどうすればいいんかな

「・・・台風の時、外に出る??」

「え? いや。出ないんじゃ無いかな??・・・(??)」

「どーせ、外に出るならさ!やっぱり晴れが良いよね。」
「でも、楽しみに予定を立ててさ。楽しい旅行なんか組んじゃったりして。
でも、天気はどんよりしてて。台風も接近してて。君ならどうする??」

「えー・・・どうするかなーー・・・・」

「運気も一緒だよ! 天気と一緒なの。」

「!!?」

「晴れの日は晴れだし、曇りの日は曇りだし。台風だって嵐だってあるよ」
「それってさ、人にはコントロールできないよね??」

「そ、そうやな。確かに・・・」

「諦めも肝心だよ。思うようにいかなくて焦っていっぱい頑張って動いていきたいのは分かる。
でもね。今、君は台風の中にいるんだよ!」
人間なんて、ちっぽけだよ。天気には逆らえない。生きたかったのに命を取られる事だってある。」

「私が今の質問の中で言えるのは台風の中で、動くよりさ。
晴れて、適温で過ごしやすい日に動いた方が効率良いんじゃない?」

「・・・そっか!!!」

そう!いつか晴れるさ!大丈夫!絶対晴れる!!止まない雨はない!!」
「ただ、大事なのは天気を変えようなんて大それた事を考えてもダメ!
そして、肩の力を抜いて柔軟に考えて見て。見てる視点を変えると、何か見つかるかもよ!」
「私は、君はきっと大丈夫だと思う」

僕は、この時の会話で
今の僕はいると思っています。
子供の僕に、その時一番必要であっただろう
本当にありがたい適切なアドバイスでした。

人生どん底の時の考え方のまとめ

いつか晴れるさ

・人生どん底!? みんな個々に必ずあること!
・運気は天気と一緒!逆らえない!
・止まない雨は無い!
・真面目に、我慢してじっと耐えて頑張ればいいというわけではない。
・いましている生活リズムや思考でうまくいかないときは、思考の幅をもっと広げる。
・環境を変える事も考える
・ポジティブな思考が大事
・人生の先輩に相談する
そして、その人生のどん底と感じた時、それは逆に成長のチャンス!!